影響ってなに?

ただちに影響はない。影響は無視できる。健康に影響する。悪影響がある。いろんな影響がありますが、そもそも「影響」ってなんなんでしょう。

立場によって。。。

放射線を浴びると遺伝子が傷ついて、がんになる確率が高くなります。放射線が健康に影響するのは事実です。一時間も浴びれば死んでしまうような強い放射線でしたら、とても許容できません。悪影響といえましょう。

では、地上で一か月間生活して自然界から受ける放射線量を一日で浴びたら不安になるでしょうか。ちょっといやなかんじもしますよね。気にしないひともいるかもしれません。これはひとそれぞれだと思います。ただ、東京とニューヨークを飛行機で往復すれば、それくらいの放射線を浴びることになります。高高度では宇宙からの放射線が強くなるからです。

被曝を考えて出張や旅行をとりやめる方はあまり多くないでしょう。実際のところ、ニューヨークに旅行すると健康に影響するのでしょうか。これにYESかNOかでこたえるのはとても難しいです。一か月地上で浴びる量と同じなのだから、毎月ニューヨークを往復するのでもなければ無視できるともいえます。でも飛んでいる間は放射線量が増えるので、遺伝子が傷つく確率も上がります。

考え方によって、おなじ量の放射線を浴びても影響はあるともいえますし、ないともいえます。白黒はっきりできないのです。むしろ白と黒の間にある大きなグレーゾーンに気づかされます。

スマホで音楽を聴くのを禁止すべき?

音楽を聴くと、内耳に影響があります。あまり大きな音で聴くと内耳の有毛細胞が破壊され、感度が悪くなります。別の連載で、コウイカの実験結果をご紹介しました。大きな音を聞かされたコウイカは、聴器官の神経細胞が破壊されていました。似たようなことが人間でも起こります。では、スマホで音楽を聴くときのボリュームに上限を設ける必要があるでしょうか。

架空のお話しですが、ある団体が「聴覚に悪影響を及ぼすので、とくに若者がスマホで音楽を聴くのを禁止しよう」と主張したり、某業界が「たいした影響ではないので規制は不要」と宣伝したりするかもしれません。

現実の世界は、灰色

白か黒かどちらかの前提にたって主張しあうと、選択肢が2つに1つしかなくなって、不毛な水掛け論になることは想像に難くありません。現実の世界は、灰色です。真っ白でも真っ黒でもありません。

では、どのくらいの大きさの音までなら、影響がないと言えるのでしょうか。あるいは、どのくらいの音にさらされると悪影響といえるのでしょうか。それは科学者が数字を示して、ハイこれに従ってくださいと言えるようなものではないのです。

さきほどの話に出たスマホの音楽再生機能はどうすればいいでしょうか。たとえば一般的な音楽アルバムを一枚聴きとおしたとして、そのあとに永続的に聴覚感度が悪くなるような状況は避けたほうがいいとAさんは思います。いやいや、一時的にでも感度が悪くなるような聴き方ならそれは避けたほうがいいというのがBさんの意見です。

ただ、ここで一歩前進しました。音の大きさだけでなく、聴いている時間も考えないといけないとAさんもBさんも思っているのです。

(音の大きさ)×(聴いている時間) < 規制レベル?

2つを掛け合わせたものを、なにかの規制レベルの下に抑えれば、内耳への影響は限定できそうです。では、規制レベルをどこにしましょうか。

たった一人でも難聴になるのはいけないから、絶対に聴覚感度への影響がないレベルに抑えるべきだというひともいれば、年を取って大きな音でないと音楽が聞こえないから規制レベルはあんまり下げ過ぎないでというひともいるでしょう。そもそも音楽をどんな大きさで聴いたって、そんなの自由じゃないか。人に迷惑をかけるわけでもないし。と思う人が大半でしょう。

どうも、データだけでは話がまとまりそうもありません。

白が黒、黒が白

それに、よいとおもった対策が裏目に出たり、その逆もあります。あちら立てばこちら立たずで、なにかを抑え込むと弊害がでます。

極端な例ですが、交通事故が起こるからといって車をなくせとはなりません。やめる損失のほうが大きいからです。

もうすこし現実的な話なら、自動運転車の普及による交通事故のリスクと、過疎地域のご老人がひとりで買い物や病院にいけるメリットを比較して、自動運転技術をどこまで認めるか答えが求められています。

話をスマホの音楽に戻しますと、規制を厳しくすれば難聴になる人は減るかもしれませんが、人々のストレスは高まりそうです。規制なんていらないと放置して耳の聞こえが悪くなる人が増えると、近づく車の音やちょっとした会話が聞こえにくくなるかもしれません。

影響の白黒だけみようとしても、人々にとっての良し悪しの境目はそんなに簡単に決まりそうもありません。

灰色のどこに線を引くか

解けない連立方程式を、あるだけの情報をあつめてそれらしい解を見つけ、とりあえずこれでやってみましょうといって、規制レベルを決めるしかありません。もちろん決めないという選択肢もあります。結局なにかの規制値というのは、手探りの中で決めていく社会の合意にすぎません。神様は答えを教えてくれないのです。

なんといい加減なのでしょう。科学は結局なんにも役立ってないのかという無力感すら感じます。

科学的なデータのよいところを挙げるなら、これまで見えなかったものを見えるようにして、数字で評価できるようにすることです。うるさい、うるさくない、ではなく何デシベルで何時間の曝露で、それで聴覚感度がどのくらい悪くなるかを示せます。灰色のなかに、数字の物差しを提供できます。

でも繰り返しになりますが、どこまで許容してどこから規制するのかしないのかは、社会と人とお金と幸せをいっしょくたに考えて、人間がいろいろ議論して、灰色のどこかになんとか線を引くしかないのです。

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