海の生き物のアセスメント その4

~対象種はなにか~

海にはいろいろな生き物がいます。でも、環境アセスメントでそれを片っ端から調べていくのではきりがありません。環境アセスメントは事業の進め方を決める重要なステップですが、基礎研究ではありません。決まった期間に決まった予算で仕上げなければなりません。

陸の対象種

そこで、開発を行おうとする地域の環境を代表するような種類が選ばれます。たとえば陸上では、希少な猛禽類が注目される種です。オジロワシは絶滅危惧Ⅱ類に指定されており、国内で繁殖にかかわる個体数は極めて少ないのが現状です。大型の風力発電施設であれば、これに衝突するリスクがあり、個体群の存続に強い影響を及ぼす恐れがあります。絶滅危惧ⅠB類に指定されるクマタカも国内の生息数が少なく、将来の種の存続が懸念されています。

環境アセスメントに適しているのは、その種をモニタしておけば生態系のどこかに異変が起こったときにいち早く反応してくれる生き物です。いろいろな餌を食べ、生態系全体に依存していて、広範囲を動き回る種が適しています。猛禽類はこれらの条件の多くを満たしています。生態系の上位種で、広範囲を動き回り、いろいろな生き物を捕まえて食べます。ライオンやクマもそうですが、食物連鎖の最上位にいる大型動物は、実はとても弱い生き物です。健全に保たれた広い生息地がなければ、こうした種類は生き残れません。たとえば、房総半島にはサルはいますがクマはいません。クマが生き残るためには森の規模が小さすぎるのです。同様に、希少な猛禽類のクマタカは、都会の小さな公園には現れません。

海の対象種

海のなかで「生態系のどこかに異変が起こったときにいち早く反応してくれ」「いろいろな餌を食べ、生態系全体に依存していて、広範囲を動き回る種」はなんでしょうか。その種は、海中のアセスメントで重要な音に敏感で、洋上風力発電所の建設水域に生息しているとなおよいです。これらの条件を満たす有力候補は、小型のイルカであるスナメリです。

スナメリは、水深50mより浅い沿岸域に生息しており、底性の餌も中表層の餌もたべます。大回遊するわけではありませんが、地域的な個体群が知られています。日本には東京湾―仙台湾、伊勢湾―三河湾、瀬戸内海―響灘、有明海―橘湾、大村湾の5つの水域です。スナメリはほかのイルカ類と同じくエコーロケーションという超音波探知能力をもっていて、聴覚の感度もよく、音に敏感です。騒音の影響を受けやすい種です。

海の環境アセスメント、とくに洋上風力発電所を念頭においた場合は、スナメリが対象種として最有力候補です。そこで、スナメリを海のクマタカと位置づけてはいかがでしょうか。

相手が決まれば、アセスメントのやり方もずっと具体的になります。

スナメリをアセスメント対象とするのはほかにもメリットがあります。猛禽類のアセスメントなら双眼鏡で見られます。ところが大半の海の生きものは直接見られません。イルカといえども呼吸をするときに水面にでてくるだけで、水中の姿は簡単には見えないのです。ところが最近、イルカの出す音を受信してその存在や行動、場合によっては個体数や生息密度までわかるようになってきました。スナメリはなかでももっとも音響観測の対象として研究が進んでいる種です。この話題については次回の「どうやって調べるのか」で詳述します。いまでは人間が張りつかなくても、定点でずっとイルカを待ち続けるロボットが海のアセスメントに役立てられています。

スナメリは仙台湾以南の暖かい海の沿岸に生息しています。それを補完するように冷たい海にはネズミイルカがいます。スナメリとおなじネズミイルカ科に属するネズミイルカは北方系で、北海道や青森、秋田の沿岸に近いところにあらわれます。スナメリとネズミイルカの分布域をあわせると、ちょうどいまさかんに洋上風力発電所の建設が予定され進んでいる水域に一致しています。

沿岸性のイルカは、健全な海の生態系の指標

小型で沿岸性のイルカは「海のクマタカ」としてアセスメントの対象にふさわしい種類です。日本には生息していませんが、アジアの沿岸ではスナメリにかわってシナウスイロイルカが各地でみられます。台湾の西海岸では、沖合洋上風力発電所のシナウスイロイルカへの影響が大きな問題になっており、影響を最小限にする努力がなされています。

地域の海の指標生物は、生態系ひとたび崩れると、あっというまにいなくなってしまいます。

2006年の秋、中国の長江に棲んでいるスナメリの亜種、ヨウスコウスナメリの調査を行いました。そのときはまだ数十頭の群れが各地で見られましたが、2012年に同じ航路で調査を行ったときには、そんな大きな群れはいなくなっていました。

長江では魚が激減し、禁漁措置がとられています。それでも漁業資源の減少はとまりません。漁獲だけでなく、汚染や水上交通、三峡ダムによる水流の制御など、複数の要因がからんで、生態系が壊れつづけているのです。

一方、おなじ揚子江に生息していたヨウスコウカワイルカは、2006年の時点で公式記録がなく、すでに絶滅したのではないかといわれています。ヨウスコウスナメリより先に個体群が消滅してしまいました。

図らずもヨウスコウカワイルカとヨウスコウスナメリは長江の環境悪化の明確な指標となっています。

健全な生態系の一部が壊されると

高次の捕食者がいなくなり

低次の生き物しか生き残れない

連載回

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